くわうほう

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甲賀へ

甲賀方面へいきました。しかし、さむかつた……。

飯道寺→広徳寺→紫香楽宮→玉桂寺→歸宅

甲賀、連續でいきましたが、飯道寺が目的地でした。飯道寺、甲賀といつても、元は水口町ですね。今は甲賀市

飯道寺は、修驗道の寺であり、そこにひかれて向かつた。なぜデリート線をひいたかといへば、さむかつたから。さむくて、標高約六百メートルまで徒歩で登るのをあきらめたから。といふわけで、目的としてゐた飯道寺をあきらめ、ちかくの広徳寺に行くことにする。

広徳寺など、すこしもしらなんだが、まあどうせいつも行きあたりばつたりだし、飯道寺に行けんとなると、どこでもよかつたので、行つた。最澄が開祖だといふが、そんな案内看板もなにもなし。大粒の雨といふか氷がふり、さむかつたことは、おぼえてゐる。日本の眞鍮鑄造のはじめの地らしく、眞鍮元祖をなのつてゐた。しかしさむく、あまり記憶にない。すこし見て、鐘ついて、すぐ去る。

紫香楽宮にいつたが、礎石しかなかつた。この礎石、當時のものだらうか。聖武は本當に、ここに大佛を建立する氣だつたのかね。なんでさう疑問におもつたかといふと、金堂の礎石を見ると、どうも、小さいやうに見えるから。国分寺がたつたとき、かへたかもしれんし、よう分からん。建物といへば、その金堂に祠があつたのみ。跡だし。雨はやんでゐたが、すこし見てすぐ去る。

玉桂寺へいくには、川を渡る必要がある。信楽高原鐵道玉桂寺前驛の上にあるつりばしを渡る。このつりばし、玉桂寺へいくためだけのもんなのかしら、といふのは、渡つた先には、玉桂寺しかないのだ。淳仁天皇ゆかりの寺らしい。本堂、護摩堂、阿彌陀堂と堂宇に特筆するところはあんまない。堂内にはいらうとしたが、法事がおこなはれてゐて、はいれず、内陣はよう分からん。境内に一際たかくそびえる二株の高野槇が一番印象にのこつた。日本一のでかさ、つまり、世界一のでかさだ。つまり、外にあるのだ。雨がふつてゐて、さむい、すこし見てすぐ去る。

んで、家にかへりました。