くわうほう

使ひます

奈良の北

黄砂がふるよ、どんどんふるよ、と、そんな日。めざすは浄瑠璃寺

光仁天皇陵→圓成寺→山口神社→太安萬侶墓

光仁天皇陵は、森だつた。大した大きさではない。一周二百メートルくらゐ。なんでこんなところにあるのだらうか、とおもふくらゐ、奈良の山奥。春日宮天皇陵もちかくにあるらしいが、いかなんだ。

圓成寺は、しらなかつたけど、いい寺だつた。計劃になかつたけど、よつてよかつた。楼門が、すき。本堂もすき。本堂は、なかの四本の柱と、厨子と、その寝殿造りの間取りと、みどころがおほい。庭もいい。おほきな池のむかうに楼門がちらり/\と見えるところとか。

山口神社は、式内社だつた。縣社でもあつた。拜殿がいい。すごく高い高床式になつてゐた、こんな建物はじめてみた。境内社の磐立神社がもとからここにゐすはつてゐたのだけれど、山口神社がうつつてきたといふ。磐立神社は磐座をまつつたものだが、その岩よりも、拜殿の方がおごそかだつた。

光仁天皇陵から圓成寺へいく道の途中に、太安萬侶墓があつて、わざわざよつた。山肌にへばりついた茶畑のなかをのぼつていつたところにあつた。見ても、なにもなかつた。石で、圓がえがいてあつた。半徑二メートルくらゐな。そこが太安萬侶の墓だ、といふ意味だらう。近くに植はつてあつた櫻の木がかれてゐた。となりの白樫に元氣をもらはてたのかもしれない。

つかれて目的地の浄瑠璃寺にいく氣はなくなつてゐたので、かへつた。