くわうほう

使ひます

かう、毎日Wikipediaを眺めてゐるこの時、この過ぎ去つていく時はもしかして無駄になつてはゐないだらうか、などとかんがへてしまひます。

ぼくは何が欲しいつて、知識が欲しいのですが、その點、Wikipediaは役に立つ面もある。優良執筆者と勝手にぼくがおもつてゐるひとが書いた記事の内容を、かなり信じてしまひます。毎日たくさんの良い記事が生まれますから、たくさんの記事をよむことに一日のおおくを費やしてしまふこともしばしばです。

さて、讀書、書物を讀むのと、Wikipediaに關るの、どちらがいいんだらうか、と。書物には、當然ですが、Wikipediaの記事より詳しく、正確な内容が書かれてゐる、はずです。Wikipediaには、一冊の書物と比べれば、どんなに良くても、その概論くらゐのものにしかならんのでせうか。また、その正確性は、書物に比べてだが、保証されるものではなく、その内容をどうとるかは、信じるかどうか、Wikipediaの記事に限らないが、個々人にまかせられる性格のものなんだらうか、とかかんがへてゐます。

Wikipediaに關つて、さまざまな記事を讀んで、ぼくの世界はおほきくなつた、視野がひろがつた、と實感してゐます。具體的にいへないけれど、興味のなかつた分野ともともと詳しくしりたかつた分野に對するぼくの姿勢は、闇雲に記事を讀むことによつてかはりました。

まあ、つまりは、なにごともほどほどにしようね、といふことなんだらうかなあ。ああ、よう分からん。