くわうほう

使ひます

批評

ぼくの動畫を題材に記事を書いてくださる方がみえた。

ラクタさんの記事は大變ありがたく、同時にほんの少し申し訣なくも。ぼくの技術が洗練されていつてるのかどうか、ノウハウは貯まつていつてゐると思ふけれども、毎回必ずなにか失敗してしまひ、意圖しないその失敗をぼくはおもしろがつてそのままにする。あるいは、なにを作つてゐるのか、なにを目的に作つてゐるのか忘れてしまひ、投げやりになり、あるいは、途中で作るのに飽き……。
自分にも出來上がりが分らない。
なにを意圖して作つてゐるのかなどは誰にも分らないことで、なにせぼくにも分らない。作ることはクリエイティブなことではなく、ただの單純作業の繰り返しで、それが飽きを生むのだけれども、また、忘却も生む。ぼくは、時系列を覺えるのが不得意で、といふか記憶力が惡く、また、動畫にも飽きるので、あまり、どういふことを思つて作つてゐるのか、作つてゐる最中ですら覺えてゐられない。
ただ單純作業に熱中し、構想通りにいかないところは成行きに任せ、過ちを愛し、飽きたらそこが出來上がりといふ不真面目さだ。
しかし制作に入る前、出來上がりを構想してゐるときは、その傑作のあり方に自分の天才ぶりを自覺してしまふ。頭の中では傑作なのだ。メモは全く取らない。そしていつの間にか目的と構想はごつちやになり、目的があつて手段があるのか、手段があつて目的があるのか、分らなくなる。
分らないんだけども。
分らないままに作る。……さうして、かういふのができるのだ……。
ラクタさんの批評は、ぼくにも曖昧な動畫に、ある方向を、意味を與へてくれたのだと思ふ。見事に文章で動畫を形にし、價値をつけてくれた。感謝の念に堪えない。