くわうほう

使ひます

なぜTwitter を使ふのか

ぼくは、Twitter のことをどうでもいいと思ふが、使つてゐる。人が集まるからTwitter が盛上がるのであり、この流行が去ればTwitter は廢れる。いや、當たり前のことだ。ぼくはそこにひとがゐるから、同じやうに群がつてゐるのだ。ひとと交流したいからTwitter を使つてゐるのであつて、だから、別にTwitter である必要は、微塵もこれぽちもない。
しかし最近、ひととの交流以外に何か目的が芽生えてきた氣がする。それは、この正字正假名遣ひを使つて、馬鹿話を書く、といふことだ。この正字正仮名遣ひは、生きてゐる表記なのだ、と見せること。その啓蒙の役目を果たす一助にはなりはしないか。まあでも啓蒙と言つたつて、正字正假名遣ひに興味の無かつた人に正字正假名遣ひを採用させようといふことは多分無理なはなしだが。しかし。忌避感、嫌惡感を薄れさせることくらゐはできるのではないか。ぼくをフォローしてゐるひとがTL を見てゐれば、この稀有な表記を使つたやつが、皆と同じやうに馬鹿なことを書いてゐる。TL に溶込んでゐる。まあすでにTwitter で、正字正假名遣ひでは話しかけられないでくれ、と言はれたぼくだけど、こんなことくらゐなら、なにがしか貢献できてゐるのではないかと思ふ。ただ馬鹿話を書きたいだけとも言ふ。
今回流行したのがたまたまTwitter だつたのであつて、次は別のサービスが流行るのだらう。大衆は、樂に書ける方に樂に人と交はれる方に流れていく。ぼくもその一人だ。