くわうほう

使ひます

平成二十四年十二月十一日

 映畫館で見て良かつた、と心から思ふ作品だつた。もしレンタルでもしてゐたら、この今のショックは半減してゐた、ちよつと見ては一時停止しては轉がり、またちよつと見てはあああああ叫んでゐたことだらうと思ふ。ド級の見てゐるこつちがノンストップアクション、身悶えするほどの恥しい内容、これでもかこれでもかと詰込み、押してできた隙間に隙間ができないほどにぎゅうぎゅうに入れ、どう詰めてももう入らないよこれ! グゴゴゴ! ゴミ箱からさまざまな表現が彈け、溢れ出てきてしまつたのが襲ひかかつてきた。僕は映畫館の大畫面でその迸りを常時目撃し、しかも片時も目が離せないまづは主人公たち中學生の色香! 肢体! 視聽者をどうしてしまひたいんだと訴へたくなるほどの制作者の過剩な思入れとサービス精神にノックアウトされた。作品テーマであるコミュニケーションと孤獨といふありきたりではあるのだが、いつまでも、大人になつても付いて付纏つて離れない惱みが、中學生といふ装置を通してこれでもかと増幅され、暴發し……、シーン冒頭では只者ぢやない轉校生との出會ひは櫻の花びらとなつて、あの一夏は陽射しと潮の香り漂ふ波となつて、また、主觀によるイメージに繼ぐイメージで滿ちた回想シーンあたり一面になつて。さらには舞台鎌倉だし! その繋がりたいのに繋がれないといふ切なさが破綻無い作畫で健全なお色氣たつぷりのしなやかな肉體とくるくる變る表情と常軌を逸した映像美を通して表現されるのだから辛抱たまらんあのシーン、僕は僕を抱きしめた獨り。男同士の行過ぎではないかと疑つてしまふやうな友情も女同士のそれも、もちろん男女の仲だつて……、ただただこの百六分、笑顔でゐられた。できれば映畫館で、この衝撃を、怒濤を體驗してほしいと思ふ。
 なんだSupercell かよ……と思つたOPテーマも、この作品であつてはもうぴつたし嵌つてゐるしここまでやらないとむしろ映像に負けてしまふだらう。良かつた。
 あ、あと渡辺麻友つて、AKB48 の人だつたと思ふけど、本職ぢやないのに演技上手いなあ、本當に驚いたよ。