くわうほう

使ひます

今さらだけど


どう答へればいいか分らないけど、ニコマスの工夫なんて、色々とできることはあると思ふ。「カメラアングルや倍率など、少し変える」といふのは一つの手法としてありだし、プロが作るやうなライブ動畫を作りたいなら必須の技法なんだけれども。でも、ぼくら底辺を含めたニコマスP はさういふものだけを求めてゐるのだらうか、といふと、そんなことはないんぢやないだらうか、と。いや、この、「など」には他に何が含まれてゐるかでも違ふけど……。
なんとなくだけど、動畫を見る限りは、この方の仰る「など」を含めた動畫を「変える」ことは、僕の嗜好とは違ふ氣がする。僕はなるべく、あまり頑張らなくても、發想だけでどうにかなる動畫を作つていきたいと思つてゐるけれども、つまり、動畫の質を高めるための「少し変える」行爲ではなく、その動畫の根本に關る變化を大切にしていきたいな、と考へてゐる。
それは、ぼくの動畫技術が足りないこともある。この今のぼくができることといふのは、發想で勝負することだと思ふのだ。動畫作る方としても作る前にあれこれ考へるのが一番樂しいし。
以上、一、底辺借り物P として。
(追記)「カメラアングルや倍率など、少し変える」ことが、その動畫の根本に關る變化であることもあらうが、つまりは、やり方はそれ一つだけぢやないよね、つてこと。これはつまらん結論だなあ。
(追記)見る分には好きだつてことも付加へとかんとかんなあ。芯がぶれぶれでごめんね。