くわうほう

使ひます

「旧仮名」に對してのありがちな誤り

ところで私は、短歌を作るとき口語で旧仮名というスタイルを用いている。「けり」とか「たり」とかを使わずに私たちが日常で使っている言葉そのままを短歌に載せる口語短歌が浸透するようになったのは、せいぜいここ30年、俵万智が登場してからのこと(それ以前からずーっと実験はされ続けていたけれど)。「おもう」ではなく「おもふ」と表記するような旧仮名が使用されていたのは戦前のこと。この二つの文体が同居しているのは、本来ならきわめていびつでバランスの悪い状態なのだ。でも私はあえてその方法を選んだ。バランスの悪さに悩み続けていた自分を引き受け、納得させるために。つまり、回文と短歌はそれぞれまったく逆のベクトルのものを希求しながら作っている。しかしその根っこには、全てにおいてバランスが悪かった昔の自分に対する清算という思いが、きっとあるのだろう。

http://sayusha.com/webcontents/c10/p=201312101702

山田航『回り出づる悩み』第三回より
歌人といふ物書きのプロでもかういふ誤解をしてしまふといふ現状。多分、この人は戰前の言文一致運動も知らないしそもそも戰前の文章をちやんと讀んだことがないのだらう。
俺はこの人のやうな能力ないけど今回文捻つてみた
「一氣酒で、今朝きつい」
昔作つた回文も載せる
「辛気臭い遺作禁止」
「今度生むうどん粉」(これはどういふ状況かわからないしコンドームを連想させるのがなんとなく嫌)