くわうほう

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新書

新書ブームといはれて久しく、各社新規參入するさまが、雨後の筍のやうだ、つて、このたとへのつかひかたは、正しいのだらうか。新書といふのは、初學者の入門のためにある、といふ面がある、氣がする。讀者に興味をひいてもらふため、興味深い事実を中心に、紹介してゐることをこゝろがけてゐるのだらう、薄い冊子に、入門書むけにはゞひろく取りあげ、なほかつ、おもしろく、する、といふのは、むづかしいことだとおもふ。
最近、といふか、結構前だけど、この二冊をよんだ。

  1. 久保田展弘『現代建築に関する16章 〈空間、時間、そして世界〉 (講談社現代新書)PHP新書;024、1997年
  2. 五十嵐太郎日本多神教の風土 (PHP新書)講談社現代新書;1867、2006年

何か、最近、知識の幅をひろくしようとして、やたらめつたらに、本に手をだしてゐる。そんで、建築學の本でも、といふわけで、五十嵐の本をよんでみた。そこに、こんなことが書いてあつた。
「逆にいうと現代は、建築史家がひとりで通史を書くのは、とてもこわくてできない。あまりにテーマが細分化されて研究がくわしくなってしまったがために、ひとりで大ナタをふるって大きい歴史を書くことがむずかしい。また、現代において、それがどういった意味をもつのかということの位置づけも困難な時代になっている。」 (p. 174)
これは、別に、建築史にかぎつたことではないのだらう。當然、日本の宗教にもかかはつてくるはなしだ。研究テーマが増え、といふか、細分化され、専門性の高いものとなり、深く/\ほりすゝめていくといふことは、つまりは、入門書の内容の取捨選擇がしづらくなる。そして、入門書だからつて、なんでもかんでもとりあげてしまふと、やはり、冊子の薄さのとほり、おもしろいけど、薄つぺらい内容になつてくるのだらう。

といふわけで、新書なんてのは、精々、とつかゝりにすぎないのだなあ、と、あらためておもつた二冊なのだつた。とはいへ、特に五十嵐の方は、おもしろかつたけど。やはり、しらない、より素人である分野のものは、新鮮な氣もちでよめて、いいものだ。