くわうほう

使ひます

引用において

小さなことを指摘するのがすきで、ひとにあきられる。親からは、おまへとははなしたない、とまでいはれてしまふ。そんなこともあります、Mobnoboka。さて、小倉庫次侍従日記がみつかつたことがわかつたとかで、さはぎになつたのはすこしまへ。この話題は、三月九日の朝日新聞ではじめて知りました。えふは十九日だで、もう時期をのがしてゐます。うむ。
しかし、氣になつたのでいひます。このとき朝日新聞は、社會欄に、すこしくはしめの解説記事をのせまして、その内容をつたへました。引用してましたが、原文どほりひかう、といふ姿勢がみえて好感がもてました。NHKは「支那は」を「自分は」にかへて紹介してゐまして、これは、つまりは、改竄です。朝日の記事には、ちやんと「支那」の語がありました。原文どほりの正假名づかひのままなのもいい。しかし、問題は、振り假名です。なぜか振り假名が現代假名づかひなのです。たとへばいまひとつしかいへないのが残念だが、「上奏」は「しやうそう」でなく、「じょうそう」とふつてゐます。これは、まさか、小倉がふつた假名ではあるまい、朝日新聞のしわざであらう。さて、朝日新聞はなぜ、假名づかひを統一せんのだらうか、可讀性のためか。しかし、これでは、あまりにも、まぬけで、奇妙です。こんなんなら、現代假名づかひに統一した方が、まだ、ましだ。どうでせうか。
ああ、本當、小さい。ぼくの器の小ささが、よく分かります。