くわうほう

使ひます

覺悟のススメ

昨日のNHK BS でやつてゐた「MAG・ネット」 を見て、自分の足りなさを思ひ知つたのだつた。彼らのアイマスライブにかける情熱、 ぼくもあの中の一員になれるかといふと、絶對になれない。彼らは、觀客ではない。もしくは、ただの觀客ではない。ぼくには、ただの觀客にしかなれさうもない(ぼくの書いた前の二十選の、ぐぐるP の動畫への個人的な思ひはまさに、ぼくにこそ當てはまる)。
彼らには、プロデューサーであるといふ、誇りがある。虚構であつても! アイドルと二人三脚で、もしくは仲間たちと助合ひ、補ひ、補ひあつて、パートナーとして成長し合つてきたといふ、自負がある。
ぼくにはなにがあるか。アイドルに對しての思ひ入れはあるけれどもそれは、協力關係によるものではなく、精々、憧れ程度ではないだらうか。もぼぞんえP、もしくはたななしP などとなのつてはきたものの、それにあたひすることは、なにをしてきたのか。ぼくは、アイドルのダンスを素材とし、破壞し、悦に入り、MAD をつくつてきた。そこで、さうするだけの資格があつたのか、といふことをいま振返つてみると、どうも、どう見ても敬意が足りない! 
ぼくはアイドルを、律子を知らない! その目標を、その喜びを、その成功を、その苦しみを……。知らない! ニコニコ動画にあがつてゐるコミュを見てぼくは、アイドルの何をどれだけ知つたと言へるだらうか。僕は、その喜びを、その目標を、その成功を、その苦しみを、味はなくてはならない。だからぼくの動畫には、魂が入つてゐないのだらう。
律子に對して贈つたミックステープでぼくは告白をした。律子のことを思ひ、選曲し、文をしたためた。その込めた思ひに僞りはないけれども、どこか浮付いてゐるのは、地に足ついてゐないのは結局、律子の本質を知らなかつたからだと思ふ。
ぼくは、覺悟を持つて、アイドルに、アイマスに立ち向かはなくてはならない。
箱○アイマス買つてくる。